【めぐりの手帖】涼風至——秋は、肌にさきに来る

鍼灸師の養生コラム

涼風至——すずかぜいたる。八月七日、暦は立秋に入りました。その最初の候が「涼しい風が立ちはじめる」。正直に言えば、昼間の道のどこを探しても、涼風は見あたりません。

蝉は全力のままですし、アスファルトは夕方になってもまだ熱を手放しません。施術室のあいさつも「暑いですね」の一色です。暦は気が早い、と毎年思います。

けれど千年以上前に、こんな歌を詠んだ人がいます。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」。藤原敏行、立秋の日の歌。秋が来たことは目にはまだはっきり見えないけれど、風の音に、はっと気づかされた——そういう歌です。

目より先に、耳。そして耳より先に、たぶん肌です。

夜の帰り道で。あるいは寝る前、閉め切っていた窓を開けた瞬間に。腕の内側を通っていく風のなかへ、一粒だけ、温度の違うものが混じっている夜があります。頭が「涼しい」と言葉にするより半拍早く、皮膚のほうが先に、ざわっと知っている。

施術の仕事をしていると、これに似たことによく出会います。ご本人が「たいしたことないです」と言っている肩が、手のひらの下では正直に固い。言葉より先に、皮膚や筋は答えてしまっている。体は、頭よりすこし早い時間を生きているのかもしれません。

涼風至は、「秋になった」とは言いません。「風が立ちはじめる」——断言ではなく、兆しの候です。一年でいちばん暑い盛りに、次の季節のいちばん小さな一粒を探そうとした、昔の人の目のよさに感心します。

今夜もたぶん、窓を開けます。風がまだ夏の味しかしなければ、それならそれで、もう少し夏の眠りにつきあうだけ。一粒でも秋が混じっていたら、その夜は、すこし得をした気分で目を閉じます。

今週、涼しい風に一度でも出会えたら。わたしはそれを、秋からの最初の便りだと思って受け取ることにしています。返事は要らない便りです。ただ、来たことにだけ、気づいていればいい。

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