【めぐりの手帖】楓蔦黄——黄色は、最初からそこにあった

めぐりの手帖

楓蔦黄——もみじ、つた、きばむ。霜降 [1] の末候、秋の暦のいちばん最後の候です。山が赤や黄に染まり、紅葉狩りの季節になりました。

ところで、あの黄色がどこから来るか、ご存じでしょうか。じつは、秋になって新しく作られる色ではありません。もともと、春から葉の中にあった色です。

夏のあいだは、葉緑素の緑が強くて、黄色は隠れて見えない。秋、日が短くなって葉緑素のほうが先に引き揚げると、下から黄色が現れる。黄葉は、色づくというより、あらわれる、なのです。ちなみに、もみじの赤いほうは、秋に新しく作られる色だそうです。あちらはあちらで、また別の話。

施術のあと、鏡を見た方に「顔色が明るくなりましたね」とお伝えすることがあります。あれも、何かの色を足したわけではありません。張りつめていたものが引いて、めぐりが戻って、もとからあった色が表に出てきただけ。

東洋医学の望診——見て診る技術——でも、顔色は体の状態を映す大切な窓とされてきました。色を読むという発想の根っこには、色は作るものではなく、内側からにじむものだという体の見方があります。

本来の調子、という言い方をよくします。その本来は、いつも、いちばん下の層にあるようです。疲れや力みが何枚か上に重なって、見えなくなっているだけで。

だから休むことは、何かを足すことではないのだと思います。上に重なった一枚を、引き揚げてもらうこと。よく眠った朝の顔に出てくるのは、新しい色ではなく、ずっとあなたの色だったものです。

山の黄色が、毎年教えてくれます。あらわれるために要るのは、努力ではなくて、退場でした。

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