寒蝉鳴——ひぐらし、なく。立秋の次候です。寒蝉と書いて、ひぐらし。まだ暑さの残るさなかに、昔から秋の蝉と呼ばれてきました。
ひぐらしは、明るい昼にはあまり鳴きません。朝と夕方、空がうすあかりになる時間にだけ、カナカナカナ、と澄んだ声で鳴きます。日を暮れさせる虫だから、ひぐらし。名前がもう、夕方の側の生きものです。
昔の一日には、終わりの合図がたくさんありました。寺の鐘、夕焼けのチャイム、商店街のシャッターの音。いまは仕事も買いものも連絡も、夜のどこまでもつづきます。終わりの合図のない一日は、締め切りのない仕事に似て、いつまでたっても肩が下りません。
夕方の施術室にひぐらしの声が届くと、その日最後の患者さんの呼吸が、すこし深くなる気がします。誰に言われたわけでもないのに、体のどこかが「今日はここまで」を聞き取っている。そんなふうに見えるのです。
体は、合図があると終われます。裏を返せば、合図がないと、終わりそこねる。がんばりつづけているというより、やめどきを知らされていないだけ、ということが、体にはよくあります。
ひぐらしの声は、誰のためでもない終業のチャイムです。聞くともなしに聞いて、ああ今日も暮れるなと思う。それだけで、一日にひとつ、句点が打たれます。
わたしは湯上がりに、部屋の明かりをひとつ消します。ひぐらしの代わりの、ちいさな合図。今週、あの声が聞こえた日は、聞こえたぶんだけ早じまい。それくらいの秋の迎え方が、ちょうどいい気がしています。


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