秋にわけもなく寂しくなるあなたへ。その悲しさには、ちゃんと「住所」があります

鍼灸師の養生コラム

「最近、理由もなく涙もろくて」——秋が深まるころ、施術室でぽつりと聞く言葉です。

何かあったわけではない。仕事も家も、いつも通り。それなのに、夕方の空を見て胸の奥がすうっと寂しくなったり、昔の歌に不意に目が潤んだりする。

日が落ちるのが早くなった帰り道、鞄を持ち直したときの、あの説明のつかない心細さ。覚えのある方は、少なくないと思います。

今日は、その「秋のもの悲しさ」の話です。結論を先に言うと、それは心の不調ではありません。東洋医学は二千年も前から、この感情にちゃんと住所を与えています。

東洋医学は、悲しみに「住所」を与えた

東洋医学には、五志 [1] という考え方があります。怒りは肝に、喜びは心に、思い悩みは脾に、恐れは腎に——そして悲しみは、肺に。感情のひとつひとつに、担当する臓が割り振られているのです。

面白いのはここからで、五臓にはそれぞれ担当の季節もあります。肺の季節は、秋。つまり秋は、「悲しみの担当臓」がいちばん働く季節にあたります。

秋になるとわけもなく寂しくなる——現代のわたしたちが「気のせい」で片づけがちなこの感覚を、昔の人は暦に組み込んでいました。もの悲しさは秋の景色の一部であって、あなたの心の欠陥ではない。そういう地図です。

ちなみに、東洋医学の「肺」は、胸の中の臓器ひとつを指す言葉ではありません。鼻、のど、そして皮膚まで含めた、外の空気と触れ合う窓口ぜんたいのこと。秋の乾いた空気(燥邪 [2] )に肌がかさつく季節、心も少しかさつく——肺の側から見ると、ふたつは同じ出来事の表と裏です。

実際、施術室でこの話をすると、ふっと表情のゆるむ方が多いのです。「季節のせいでもあるんですね」と。名前と居場所をもらえただけで、感情は少し軽くなります。

悲しむと、息が浅くなる

肺と悲しみのつながりは、机の上の理屈ではありません。体で確かめられます。

悲しいとき、息はどうなっているでしょうか。浅く、細く、ときどき止まる。泣きじゃくる子どもの、あのしゃくり上げる呼吸を思い出してください。悲しみは、まっさきに息を乱す感情です。

これは、うつ伏せの背中からも分かります。息の浅くなっている方は、背中の上のほうだけで呼吸をしていて、腰のあたりまで息が届いていない。悲しみと呼吸は、本人が思っているよりずっと近い場所にいます。

古典には「悲しめば気消える」という言葉があります。悲しみが続くと、体を巡る気 [3] がすり減っていく——だから肺の季節には、悲しみをためすぎないように、という知恵です。ため息が増えるのは、その小さなサインとされてきました。

西洋の側から見ても、秋は日照時間が短くなり、気分が沈みやすくなる季節と言われます。光が減る空の下で、心が少し湿りがちになるのは、洋の東西を問わず観察されてきたことなのです。

悲しさを追い出さず、息を返す

では、どうするか。競うように前向きになる必要は、ありません。

秋のもの悲しさは、追い払う相手ではなく、息を返してあげる相手です。悲しみが息を浅くするなら、こちらは息を深くして迎えにいく。順番を逆から使うわけです。

布団に入ったら、吐く息だけを、いつもより少し長くしてみてください。回数も時間も決めなくていい。気づいたときに、ひとつ長く吐く。吐く息が長くなると、体は「もう休んでいい」と受け取ります。それだけで、浅くなっていた息の底が、すこし下がります。

そして、ため息を我慢しないこと。人前でこぼれるため息には行儀の悪い顔をされますが、ひとりの夜のため息は、体が自分で息の深さを取り戻そうとする動きでもあります。幸せは逃げませんから、安心してどうぞ。

もうひとつ、肺は鼻とつながる臓ですから、好きな香りをひとつ嗅ぐのも、秋の心のよい手入れになります。金木犀の垣根で足を止める。湯気の立つほうじ茶を鼻先に寄せる。効能をうたわない、ただ好きな香りで構いません。

もの悲しさが強すぎて眠れない日が続くときや、気分の沈みが長引くときは、ひとりで抱えず、医療機関や身近な専門家に相談してくださいね。

光の話と、肺の話。言葉はずいぶん違いますが、勧めていることは重なっています——秋は、息と心に、少しだけ手をかけてやる季節だということ。

秋の夜の眠りそのものが浅い方は、秋に眠りが浅くなるのは、体が季節の『衣替え』をしているのかもしれませんもあわせてどうぞ。今夜はまず、長いため息をひとつ。それが秋の心への、いちばん小さな養生です。

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