鶺鴒鳴——せきれい、なく。白露 [1] の次候です。セキレイは、水辺や駐車場を小走りに歩きながら、長い尾をせわしなく上下に振っている、あの鳥。名前は知らなくても、姿はきっと見たことがあるはずです。
古い呼び名を、石たたき、といいます。尾で石を叩いているように見えるから。歩いては叩き、止まっては叩き、あの尾はほとんど休みません。
面白いのは、この候の名前を知った人が、たいてい同じことを言うことです。「言われてみれば、いつもいる」。そうなのです。セキレイは九月に現れるのではありません。一年じゅう、そこにいた。名前を知った日から、見えるようになっただけ。
体のことも、同じだと思うのです。夕方に足がむくむこと。ため息が増えていること。眠りの浅い週があること。どれも、ずっとそこにあったのに、言葉を持つまでは風景に紛れている。気血水でも、冷えでも、何でもいい。名前をひとつ覚えると、体のセキレイが、一羽ずつ見えてきます。
施術に通われている方が、あるときから「今日は肩というより、目の奥です」と言えるようになる。あれは体が変わったのではなく、体を指す言葉が増えたのです。言葉が増えたぶんだけ、手当ては早くなります。
見えたからといって、すぐ何かをしなくてもかまいません。セキレイに餌をやる必要がないのと同じです。ただ、いることを知っている。それだけで、通り過ぎ方が変わります。
今週、道の先を小走りに横切る鳥がいたら、それはたぶんセキレイです。あなたの暦に、鳥が一羽増える。名前を知るとは、世界がひとつ増えることです。

